かつてフランケンシュタイン博士が生み出した、不死身の怪物。何度肉体を滅ぼされても心臓と脳味噌は生き続け、新たな肉体を得ては活動を再開する。ナチスドイツはその性質に目をつけ、心臓と脳味噌を入手すると不死の軍団を生み出すべく研究を行っていた。しかし先の大戦でナチスは敗北。研究は実を結ぶことなく、歴史の闇に葬られた。時は流れて現代、穏やかな港町カッツマン・コーブは深刻な事態に見舞われていた。水辺にいた人間の失踪事件が相次いで発生。折角の行楽シーズンだというのに観光客が激減していたのだ。沿岸警備隊のデュークは事件解決に奔走する中、桟橋に転がっていた人間の足首を発見。どうやら失踪事件の犯人はサメらしい。速やかにビーチや港は閉鎖されたものの、直前に一隻のボートが海上に出ていた。そのボートを借りたマッジたちはサメがいることなど露知らず休日をエンジョイしていたところ、突如スクリューが故障。彼らはボートの修理を操縦士に任せ、泳いで近くの島に上陸することにした。休日の解放感から「立入禁止」の札も気にせずぐんぐん進むと、古びた家屋を発見。恐る恐る足を踏み入れると、そこは何かの研究施設のようだった。奥には水槽があり、その中には──全身ツギハギだらけの醜悪なサメがいた。一同が驚愕していると、そこに施設の主・クラウスが登場。クラウスは彼らに銃を突き付けて動きを封じると、自らの目的を語り始めた。彼はナチスを崇拝しており、フランケンシュタインの怪物の心臓を脳味噌を入手して密かにナチスの研究を引き継いでいた。ホオジロザメやヨシキリザメ、シュモクザメといった凶暴なサメの肉体を繋ぎ合わせた怪物を作り、それに心臓と脳味噌を移植することで最強の海の怪物を生み出そうとしていたのだ。そして今、クラウスはマッジたちを脅して手術を手伝わせ、サメの怪物に脳味噌と心臓を移植。かくしてフランケンシュタインの怪物の心臓と脳味噌を持った人造サメ、フランケンジョーズは誕生した。早速クラウスはテストとして、人語を解するフランケンジョーズにボートの操縦士を殺すように命令した。しかしフランケンジョーズは操縦士どころか、ボートまで破壊。命令以上の破壊行為にクラウスは腹を立て、電気ショックで折檻しようとした。だがその直後、フランケンジョーズが逆上して襲いかかり、クラウスは呆気なく死亡。逃げ出したマッジたちは沿岸警備隊のデュークに保護され、無事港まで辿り着いた。猛スピードで追いかけてきたフランケンジョーズは勢い余って桟橋に乗り上げる。いくら強くても陸の上ではサメは無力。これで一件落着──と思いきや、急に雲行きが怪しくなり、激しい雷がフランケンジョーズに落ちた。すると、どうしたことか。フランケンジョーズの体から、筋肉モリモリの2本の腕が生えてきたではないか。おかげで陸上でも活動できるようになったフランケンジョーズは、牧場の牛を食らい、中年モデルをレイプし、やりたい放題の傍若無人。業を煮やしたデュークはフランケンジョーズを灯台に誘き寄せ、ダイナマイトで始末する作戦を立てるが…。
サメ映画のサメは活きの良さこそ生命線。水中を元気に泳ぎ回って人間を捕食するのが本分というものだ。既に死んでる「ゾンビ・シャーク 感染鮫」「ゴースト・シャーク」といった作品だって、「ゾンビ・シャーク 感染鮫」は首だけになっても人間を食らうバイタリティを発揮してくれるし、「ゴースト・シャーク」に至っては並のサメ映画では太刀打ちできない残虐プレイを発揮。いずれも死してなお壮健で、サメ映画の主役としての意地を見せてくれた。
しかしそんな中、本作前半に登場する人造サメはあまりにも異彩を放っていた。作中では高速で水中を泳ぎ回り、鋭い牙で多くの人間を食らい尽くす。しかしそのヒレは微動だにせず、口は全く咀嚼の気配がない。脚本上の活躍に反して、驚異的なまでの活きの悪さだった。要するに可動部分がまるでない模型のサメを使っているわけだが、死体を繋ぎ合わせた人造サメという設定に乗じてか、本作は模型であることを微塵と隠す気配がない。人間が歩く映像に模型を置いて「捕食」を表現するような前衛的な場面が何度も出てきて度肝を抜いてくれた。他にも冒頭のナチスが暗躍する場面では、潜水艦の写真を横にスライドさせて「潜水艦が進んでいる」を表現し、同じく写真を上にスライドさせて「潜水艦が浮上した」を表現する。想像を絶する映像に驚愕させられ通しだった。
人造サメがあまりにも動かないので「このまま最後まで押し通す気か!?」と戦々恐々していたら、雷に撃たれて2本の腕が生えてからは腕も口も少しだけ動くように。それでも人間を襲う場面はサメが全然画面に映らなかったりするんだが、これまで全く動かなかった奴が少し動いてくれるだけで大いに感動を覚えてしまう。これはそう、まるで赤ん坊の初めて立って歩くのを見て喜ぶ親の気持ちだ。我が子の成長を見守る感情にさせてくれるサメ映画。それがこの映画である。
そんなわけでサメ映画としては真っ当な評価が難しい作品だが、フランケンシュタインネタは割と楽しむことができた。マッジが異様なまでにフランケンシュタイン映画に詳しく、ユニバーサルとハマー・プロのタイトル傾向が話題に出てくるのは嬉しいところ。終盤の展開も粗削りながら本家を踏襲しながらオリジナリティを盛り込んだもので、元ネタを安易な借用ではなくきちんとオマージュに消化している点に凄く好感が持てた。