観光開発中の海辺の町、スモールポート。ある晩ここで釣り大会が行われていた。参加者のオヤジは制限時間ギリギリで大物を釣り上げようとしたが、寸でのところでサメに獲物を横取りされてしまう。頭に来たオヤジはサメに大量の激辛ソースと銃弾をぶちこんだ。深手を負ったサメは岩場の洞窟に逃げ込み、無念のうちに絶命。その魂は安らかに天に召される…はずだった。直後、釣りオヤジの乗る船に青白く発光する物体が接近。水面から飛び上がったそれは、紛れもなくさっき死んだサメだ。理不尽に殺されたサメが、凶暴な悪霊ゴースト・シャークとなって復讐に来たのだ!たちまちゴースト・シャークは船の人間を皆殺しにするが、尚も人類に対する憎悪は消えない。水のある場所なら何処からでも出現し、海水浴に来たビキニギャルを、プールで騒ぐお祭り男を、洗車するビキニギャルを、次々と血祭りに上げていく。ゴースト・シャークに友人を殺されたエバは友人たちと共に正体究明に乗り出し、やがて町の忌まわしい歴史が封じられた洞窟こそ全ての元凶であると突き止める。大量の爆弾を洞窟に設置して爆破しようとするが、いざ準備を終えた時に雨が降り出してしまう。至る場所が水たまりだらけになり、ゴースト・シャークの猛攻が始まった…。
「フライング・ジョーズ」のグリフ・ファースト監督による神出鬼没のサメ映画。水がある場所なら何処からでもサメが出てくる、サメ映画の可能性を追求した作りは「ピラニアシャーク」と同じ。でも本作は物理法則を完全に度外した霊的存在であるから、水場の大きさでサイズが限定されないのがセールスポイントとなっていた。ピラニアシャークはサイズが小さすぎてサメ映画という感じはあまりしなかったのが欠点だったのに対し、本作のゴースト・シャークはどんな小さな水たまりから出現してもサイズはそれなりに大きく、襲撃シーンもしっかり見栄えがするものになっていたのだ。例えば映画中盤では、ウォーターサーバーの水を飲んだら水の中からゴースト・シャークが出現。体内を食い荒らした果て、人体が縦に真っ二つに裂けてコップよりも遥かに巨大なゴースト・シャークが顔を見せるという、サイズ可変を駆使した見せ場が用意されていて、作品を大いに盛り上げてくれた。またこの映画、子どもだろうと容赦しない姿勢がとても良い。水が撒かれた道路で悪ガキが走っているとゴースト・シャークが出現。悪ガキの上半身が持っていかれて、足だけになってヨタヨタ歩く光景の悪趣味さ加減には感動を禁じ得ない。脚本の方は割と素直な作りで、この点に関しては「ピラニアシャーク」に軍配があがるものの、サメの特徴を活かした襲撃シーンの数々には大いに心動かされる快作だった。