チキン・オブ・ザ・デッド 悪魔の毒々バリューセット      「評価 S」

毒々シリーズの新作が作られないおかげで、すっかり平和を取り戻していたトロマビル。ところがこの田舎町に、またしても資本主義を原因とする大惨事が巻き起こった!
事の発端は、マクドナルドとケンタッキーを足して2で割ったようなチキンバーガーチェーン『アメリカン・チキン・バンカー』が、トロマビルに進出したことに始まる。この企業ときたら金儲けのためには形振り構わない体質で、なんと町の先住民トロマホーク族の墓を潰して更地にし、そこに新しい店舗を建設してしまった。この行為は当然大顰蹙を買い、開店当日の店先では、トロマホーク族の女性ミッキーの煽動のもとで激しい抗議運動が巻き起こった。さて、ここで出てくるのが我らが主人公、ウスラトンカチの青年アービーだ。彼は偶然デモの現場に遭遇し、わけも分からず抗議団体の輪に入ったところ、高校時代に付き合っていたウェンディと再会した。2人は高校卒業まで、トロマホーク族の墓で抱き合うほどに激しく愛し合っていた。しかし彼女が町の外の大学に進学した一方、アービーは両親が障害者なので家を出るわけに行かず、ここ数ヶ月ばかり音信不通になっていたのだ。そんな彼女と久々に再会したわけだが、あろうことかウェンディは都会暮らしで垢抜けた挙句、ミッキーと公衆の面前でキスをするようなレズビアンに変貌を遂げていた。アービーはショックを受け、激しく落ち込む。だが凹んでばかりもいられない。彼はウェンディへの当てつけとして、彼女たちが非難しているアメリカン・チキン・バンカーに就職することを決意した。黒人店長デニーに家庭の事情を話すと即採用が決まり、ゲイのメキシコ人やら、中東系女子やら、獣姦マニアやら、一癖も二癖もある面々と共に働くことになった。
そしていよいよ、開店の時間が来た。アービーは接客嬢として、スカート&網タイツ姿でレジに立つ。だがその頃、フライドチキンに使う冷凍鶏肉に異変が発生。墓を暴かれたトロマホーク族の怨念が宿ったことで、殺人を繰り返す狂気の食肉に変わり果てていたのだ。慌しい店内では、従業員がチキンによって肉挽き機に落とされてミンチになったり、チキンを食べた人が大量の嘔吐&下痢便を垂れ流したりと、とんでもない事件が続発。その上オーナーのリーロイ将軍が企てていた抗議団体丸め込み作戦によって、店先で抗議を行っていた連中までもが怨念チキンを食べてしまい、被害はますます拡大。たちまち店舗とその周辺一帯は、殺人チキンによってクリーチャー化した人々がひしめき合う、鶏人間コンテスト会場へと成り果てた。あちらこちらで緑色の汚液が垂れ流される中、アービーはウェンディを守るために店内を駆け回る。やがて殺人チキンの弱点がアルコールだということに気づき、猛反撃に出るが…。

ロイド・カウフマンが「悪魔の毒々モンスター 新世紀絶叫バトル!」以来、8年ぶりに監督を務めたトロマ映画だ。「わざと下らなく作る」姿勢で定評のあるトロマ映画だが、初期のロイド・カウフマン作品はまだ「下らないことをして楽しませる」技術において洗練されていない面があり、歯切れの悪い演出が鼻についたり、倫理的なバランスを欠いて不快感を残したりすることも頻繁にあった。弟のチャールズ・カウフマンは下品な要素を控え目にすることで一般受けを狙い、実際に「マザーズデー」や「ブーイング・アドベンチャー ギャグ噴射家族」等の傑作を残している。しかしこれらの作品において、「下らなくて面白い」トロマ色はだいぶ希釈されたものとなっていた。もしロイド・カウフマンの下品で過激な作風が、ネガティブな気分にさせられることなく、原液そのままで味わうことができたら──。そんなトロマファンの願いに答えてくれたのが「悪魔の毒々モンスター 新世紀絶叫バトル!」だ。過激ネタの数々がハイテンションな編集で彩られ、従来のシリーズよりも遥かにゴキゲンな気分を味わえる。そこにはロイド・カウフマンが長年「如何に低俗な内容で観客を喜ばせるか」という命題に真剣に取り組んできた、確かな成果があった。
そして本作の登場だ。「新世紀絶叫バトル!」から8年ものスパンを置いたことで、惨たらしい演出も危険ネタの取り扱い方も更なる洗練を遂げていた。
まず目を引くのが、トロマ名物の“緑色のヌルヌル汚液”が史上最高クラスに猛威を振るっていた点だ。怨念の宿った鶏肉&卵が汚液漬けになっていたのを皮切りに、そんな汚液まみれの卵やフライドチキン(衣の隙間から緑色の泡が立っている!)を人々が美味しそうに食らうわ、鶏人間たちが殺されると赤い血と汚液が半々になって滴り落ちるわ、そいつらの返り血ならぬ返り液をアービーが顔面で大量に受け止めるわ、徹頭徹尾汚液祭りの大盤振る舞いには興奮が収まらなかった。
一方で、どれだけ惨い場面においてもユーモラスな演出を挿し込んで笑いに昇華し、不快に感じさせないことを忘れていないのが、ロイド・カウフマンの計算高いところだ。例えば中年男性がトイレで下痢便を垂れ流すシーンでは、通常ではあり得ないほどの大量の下痢便を何分にもわたって延々と噴射させ、床や壁を茶色に染めていく。これが常識の範囲に収まる下痢だったら中年男性のスカトロという惨劇以外の何物でもない光景に顔をしかめるところだが、天丼の要領でいつまでもいつまでも見せることで、壮大なギャグとして演出してしまう。本作ではこんな風に、そのまま見せては不快に繋がりかねない下品で過激なネタを、ある時は過剰にすることで、ある時は抑えることで、見事なまでに嫌味のないギャグに仕立てていた。「下らなくて面白い映画を作る」というテーマに真正面から向き合ってきたロイド・カウフマンの手腕が、本作において遺憾なく発揮されていたのである。
そしてこの「過激なネタを笑えるように組み立てるバランス感覚」は、脚本においても同様に活用されていた。従来から「虐げられる弱者」として障害者や老人や子どもをたくさん出して殺してきたトロマ映画。本作はそれに加えて、資本家と市民団体の繋がりとか中東テロとか、非常にデリケートな領域にまで踏み込んできている。しかし主人公を中立な立場のウスラトンカチに設定し、WASPも黒人もメキシコ人もアラブ人も、誰彼構わず全方面を均等にネタにして笑い飛ばすという「サウスパーク」さながらの方式で、いずれかへの肩入れによる反感を巧みに回避していた。
本作は、随所に「悪魔の毒々モンスター」を彷彿とさせる要素こそあれど(主人公がオツムの弱い青年、メルビンTシャツ、親が障害者、掃除にモップを使う、ファーストフード店で惨劇が巻き起こる、など)、基本的にはメルビンやカブキマンといった既存キャラクターの人気に頼ることなく作られた完全新作である。そしてロイド・カウフマンは本作においてアービーの未来の姿として出演し、鶏人間どもにマシンガンをぶっ放すハッスル具合で健在をアピール。作品の出来はもちろんのことだが、それ以外の側面においても、トロマの新時代到来をひしひしと予感させる内容だった。
(しかし、何故こんな傑作が2013年まで日本で未ソフト化のまま埋もれていたんだろうか。毒々モンスターがいないとセールスポイント的に弱いと判断されたのか)


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