フロリダの海岸部の一角に存在する、非常にせまい平野地帯。道路もライフラインもない陸の孤島であるが、不動産会社のマリリンはここを別荘地に偽装して金持ちどもに売りつけ、一儲けしようと企んだ。適当なパイプを埋め込んで水道やガスが通っているように見せかけ、開発中であるかのような看板を立てる。そして一通りの準備が整うと、別荘が欲しい金持ちたちを集めてダンが操縦するクルーザーに乗り込み、見学ツアーを開催した。ところがその頃、偽の別荘地では異変が起こっていた。放射性物質の入ったドラム缶が不法投棄され、海岸に打ち上げられた。するとそれに群がった蟻たちが、放射能の影響でのびのびと異常成長。人間よりも遥かに巨大なサイズになり、偽装工事に携わっていた作業員たちを食い殺していたのだ。やがて巨大蟻は、マリリンたちの前にも出現。桟橋に停まっていたクルーザーを破壊して退路を断つと、続々と襲い掛かってきた。マリリンたちは一番近い町を目指して、道路もないジャングルの中を死に物狂いで逃げ回る。数名の犠牲を出しながらも、何とか町に辿り着くことができた。しかし安堵するのも束の間、彼女たちは町の異様な雰囲気を察知する。住民たちはみんな死んだような目をしている上、町長は近隣の町と掛け合って大量の砂糖を集めている。実はこの町は、既に巨大蟻の支配下に置かれていた。町外れの砂糖工場に棲みついた女王蟻が、人間たちにフェロモンを噴射。働き蟻のように従順な奴隷へと変えていたのである…。
「世界終末の序曲」から「巨大生物の島」まで、実物合成による巨大生物映画を大量に作り続けた男、バート・I・ゴードン。本作はそんな彼が監督した、最後の巨大生物映画である。最初期の「世界終末の序曲」では目も当てられない出来だった特撮が、本作の一つ前に監督した「巨大生物の島」では精巧なミニチュアによって割と見られる出来になっており、年代ごとに見比べると彼の特撮もそれなりに進歩していることが窺える。そして本作は「世界終末の序曲」以来の、実物接写合成による昆虫巨大化モノだ(「巨大生物の島」のスズメ蜂はハリボテなので)。あの悲惨なイナゴ特撮に対するリベンジの意も汲み取れ、私は期待して本作を見た。ところが──。
本作の特撮は、「巨大生物の島」よりも明らかに退化していた。それどころか、「世界終末の序曲」とまるで遜色のないレベルにまで落ち込んでいたのだ。どうしたんだ、バート・I・ゴードン! …どうも彼の実物接写合成では、昆虫を巨大に見せることが技術的に難しいようだ。蟻をガラスケースに入れて撮影しても、蟻たちは絶えず気ままに動き回るものだからガラスケースの壁面にはすぐに砂粒なんかが張り付き、合成カットでは「人間と巨大蟻の間に大量の砂粒が浮かんでいる」という異様な光景ができてしまう。これがネズミとかの小動物サイズだったらまだ見過ごせるのだが、昆虫ほどのサイズになると一緒に写る砂粒も大きくなり、不自然さが目立っていたのはいただけない。またミニチュアの中を蟻が這い回る特撮も、ネズミならまだしも、蟻が巨大に見えるサイズのミニチュアとなると、低予算で精巧に作るのは土台無理な話だった。ミニチュア撮影は木のような植物(これも人間たちのシーンに写っている森の木々とだいぶ異なっており、明らかに不自然なのだが)の中をウロウロするぐらいしか用意されておらず、「巨大生物の島」までの進歩の跡を活かせていなかったのである。ろくなミニチュアが用意できないものだから、「写真の上を蟻たちに這い回らせる」という「世界終末の序曲」で失笑を買った方法まで持ち出して、場を繋いでいるのが何とも痛々しい。
かくして「世界終末の序曲」のリベンジを果たせずに終わり、自身の特撮の限界が露呈してしまったバート・I・ゴードン。これを最後に巨大生物映画を撮らなくなったのも、致し方ないと言えるだろう。