かつてNASAに所属していた科学者トムとエマは、再婚を間近に控える間柄。その日はそれぞれの息子と娘を連れて、ワシントン州シアトルへと買い物に出かけていた。だがそんな折、宇宙から謎の飛行物体が飛来し、シアトルに接近。ただちに戦艦からミサイルが射出され、飛行物体は上空で破壊されたものの、破片の一部がシアトル市街地と海の中に落下した。すると、どうしたことか。海中から黒いモヤのようなものが湧き上がり、渦を巻いて上空へ。たちまち空は黒く染まり、無数の竜巻や雷が発生。シアトルを無惨に破壊していった。トムたちは災害対策局と共に飛行物体の正体を調べたところ、これはあらゆる物質の分子構造に割り込んで結合・増殖し、気体として上空に舞い上げてしまう脅威の物質であることが判明。このまま物質の増殖が続けば海が干上がり、世界中の大気が不安定になって大災害が巻き起こってしまう。この想像を絶する事態にトムたちが愕然としていると、一人の老人が彼らの前に現れた。彼ディミートリという老人は、60年代にソ連軍のもとで兵器研究に携わり、この物質を開発したらしい。しかし全地球に被害が及ぶことが分かったので、物質は宇宙空間に破棄された。それが現在になって、地球に舞い戻ってきたというのだ。罪を償いたいディミトーリと一緒に対策を考えることにした一行は、1つの計画を打ち立てる。それは物質に重水をぶつけることで、結合・増殖する力をなくし、上空の黒い気体を元通りにしてしまうというものだった。さっそく実行に移さんと、政府が所有する重水タンクに向かうトムたち。だがその行く手を、強烈な竜巻が阻んでいた…。
「メタル・トルネード」の脚本を書いているジェイソン・ボルク監督による竜巻パニック映画。「触れる物を気体に変える物質」が急激な気候変動を引き起こして竜巻を発生させるという、ある意味「メタル・トルネード」以上の変り種だ。しかし幾ら発生原因が斬新でも、竜巻自体はその物質の力を持ち合わせておらず、あくまでただの竜巻なのは肩透かしだった。「竜巻に当たった物は気化する」とかのセールスポイントぐらいあってもいいのに、ごく平凡にタワーをなぎ倒したり人間を吹き飛ばすばかり。一応映画の序盤には、物質に触れた人間が灰となってボロボロ崩れ落ちるという、物質そのものに焦点を当てた見せ場が存在するものの、それも中盤以降はなりを潜め、凡庸なパニック映画に成り下がってしまう。作品の設定が映画的な面白さと結びついておらず、竜巻の劣化版でしかなかった「メタル・トルネード」と同様の失敗をしているように感じられた。冒頭で後半の展開を先見せする「エイリアン・ゼロ」さながらの構成も、作品の緊張感を大きくそぎ落としており、あまり感心できない。家族4人がそれぞれの特技を活かして困難に立ち向かう展開は「メタル・トルネード」同様に引き込まれるものがあっただけに、もっと災害の工夫の方向性について考えてもらいたい作品だった。