ゾンビ大陸 アフリカン          「評価 A」

それは大自然からの天罰なのか。突如アフリカ大陸にてゾンビが出現し、エイズやエボラなんか真っ青の勢いで増殖。たちまちアフリカの村という村は壊滅し、各地に駐留していた米軍は撤退することを決めた。そして基地からの最終便が離陸したはいいが、その機内にはゾンビに噛まれた負傷者が。彼はゾンビとなって暴れ回り、飛行機は海上に墜落。米軍エンジニアのブライアンだけが奇跡的に生き残り、アフリカ西海岸に打ち上げられた。ブライアンは祖国で待つ妻子に会うため、米軍基地を目指して移動を開始する。ゾンビが跋扈する荒野を横断し、息子を探している兵士ダニエルと出会い、ゾンビに噛まれた女性から赤ん坊を託され、悪魔の爪と呼ばれる岩場を越え──。長い旅の果てにブライアンが遭遇したのは、あまりにも非情な運命だった…。

ゾンビ不毛の地、アフリカ。本作以外ではジェス・フランコ監督のトラッシュ映画「ゾンビの秘宝」ぐらいしか思い浮かばないほど、ゾンビ映画との縁が薄い土地だ。しかしブードゥー教の由来が西アフリカの民間信仰にあることから考えても、決してゾンビと無縁な場所というわけではない。日常性の破壊に主眼が置かれているためか、はたまたロケ撮影に手間がかかるためか。いずれにせよ、アフリカを舞台にしたゾンビ映画は殆ど作られていないのが現状である。
そんな状況下で、敢えてアフリカを舞台に作られたこの映画。まず目を引いたのが、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」に先祖帰りしたようなゾンビたちの描写だ。ゾンビが敏捷に動き回って兵器類を扱うのが当たり前になっている今日において、まさかのノロノロ歩行。銃を所持している兵士がゾンビになっても、使い方が理解できないから一切発砲しない。ひたすら歩いて接近し、獲物に噛み付くという、清々しいまでの知能の無さを見せ付けてくれた。もちろん脳味噌が破壊されたらジ・エンドであり、「バタリアン」のようなしぶとさは皆無。腐敗したメイクは施されず、体の損壊と白目コンタクトでゾンビであることを表現しているのも、紛れもなく古典的だ。本作の狙いが古きゾンビ映画を大真面目に現代に蘇らせる点にあるのは明白である。
しかし、もしこれがアメリカを舞台に展開していたら、単なる懐古主義としか見なされなかっただろう。ゾンビ映画の最先端をいくアメリカでもない、ブードゥーのメッカであれど「サンゲリア」という偉大な先達が存在するカリブ海でもない。更にそのルーツとなる西アフリカを舞台にしているからこそ、どれだけ古風なゾンビが出てきても自然に受け容れてしまうのだ。事実、作中でブライアンが訪れる村の1つでは、ゾンビの対処法を知り尽くしている呪術師がいて、死体を的確に処理することでゾンビの発生を防いでいる。ゾンビの存在が民間信仰の中に根付いている。そんな背景が明示されるが故、本作のゾンビたちは俄然説得力をもっていた。
一方で本作、ゾンビ映画としての見せ場は心得ているのが嬉しいところ。人間の肉体が食いちぎられる、車に轢かれたゾンビがミンチになる、といったゴア描写は、ゾンビたちのオールドファッション具合に反してえげつなさ抜群。また昼間だと全然怖くないノロノロゾンビも、夜襲や大量襲撃をメインに据えることで十分な恐怖感を演出していた。
単なる古典映画の焼き直しに留まらず、古典の大前提を踏まえながらも、現代の目で見て楽しめるようにリファインして世に送り出す。歴代のゾンビ映画への敬意を存分に感じられる、素晴らしい作品だった。


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