ココとピピの夫妻は、アルゼンチンの都市部でアパートを借りて暮らしていた。スーパーで買いだめをして、清算を終えて帰る時、大勢の人間がスーパーに殺到する光景を目のあたりにする。また道端では一台の自動車が事故に遭っていたが、周囲に気に留める人間はおらず、明らかに只事ではない様子だ。2人は怪訝に思いながら部屋に帰り、テレビをつける。すると、驚くべき現実が報じられていた。全世界で未知なるウイルスが蔓延し、大勢の死者が出ているというのだ。2人が戸惑っていると、電話が鳴り、アパートの世帯主たちが1階の玄関に集められた。玄関にはシートが張られ、防護服を着た軍人たちがアパート全体を取り囲んでいる。何でもこのアパートの一室の住民が例のウイルスに感染したらしく、住民たちが感染していないことが確認できるまでの間、アパート全体を隔離するというのだ。かくしてアパートに住んでいる16名と家政婦1名は、長期間にわたりアパートの中に閉じ込められることになった。ネットも電話も遮断され、情報を得る手段はテレビのみ。日に日に食料も減っていくが、どういうわけか配給などの処置は一切行われず、住民たちは疲労困憊していくばかりだった。そんな中、住民の1人サヌットに、ウイルスの仕業と思しき症状が現れ始める。他の住民たちは安全を確保するため、サヌットを最上階の隅の部屋に隔離しようとした。ところが日ごろのストレスが募っていたこともあり、力づくで追い出そうとしたものだから、サヌットは逆上。散弾銃を手に取って、住民を次々と殺し始めた。ココは妊娠中のピピを守るため、隣人のホラシオと協力し、秘密裏に事態を収束させようとするが…。
隔離されたアパートで住民たちが殺し合うアルゼンチン映画。画面や音楽による雰囲気づくりは良くできており、作品全体に緊張感をもたせていた。しかしこの映画、そもそもの舞台設定に大きな難があった。住民たちは終わらない隔離生活の中で、「検査の結果はいつ出るのか」「いつまで隔離が続くのか」「どうして政府は何の対応もしてくれないのか」と口々に不満を漏らし、精神を蝕んでいく。隔離生活が半月近く経った映画後半で、これらの疑問に対する明快な答えが呈示されるわけだが、住民たちがそれまでの間、誰一人としてこの答えに辿り着かなかったというのは無理ありすぎだ。窓からは外の光景がハッキリ見えるし、アパートの屋上にあがることもできるし、テレビ放送の視聴は一切制限されていない。数日もすれば事態を飲み込み、隔離されたアパートという舞台そのものが破綻しそうなものなのに、何故か全員外の様子には無頓着で、閉ざされた空間で殺し合いを始める。あまりに強い作為性が透けて見え、どうにも楽しめない作品だった。