女作家ジェニファー・ヒルズは、次回作を書き上げるために都会から離れた田舎町・モッキングバードのロッジを借りることにした。ロッジは豊かな自然に囲まれており、辺りに人家はなく、騒音の心配もない。これで落ち着いて執筆ができる、はずだった。しかしそんな彼女に淫らな視線を向ける者たちがいた。町の荒くれ4人組だ。彼らは「都会女が田舎に来る目的は1つ。そこの男たちとヤリまくりたいからさ!」と勝手に決めつけ、ロッジに強引に上がりこんできた。たまらず逃げ出したジェニファーは、通りかかった保安官に助けを求める。しかしこの保安官も、彼らとグルだった。彼はジェニファーがマリファナを吸っていた証拠をでっち上げると、荒くれどもと一緒に彼女を押さえつけた。そして始まる、陰惨な陵辱。男たちに代わる代わるレイプされ、彼女の人格は無惨にも踏みにじられた。やがて全裸で血だらけの姿に変えられたジェニファーは、よろよろと立ち上がると、近くの川に身を投げた。彼女の死体は見つからず、保安官は彼女が行方不明になったことにして、事件を闇に葬った。ところが1ヶ月後、彼らの身の回りで異変が生じ始める。家の前にジェニファーのサンダルが置かれたり、事件の証拠となるテープが保安官の家に送りつけられたり。そう、ジェニファーは死んでいなかった。レイプした男たちへの憎しみに燃える復讐鬼として、モッキングバードに舞い戻ってきたのである…。
「発情アニマル」。公開から30年を経てもなお、世界各地で「悪魔のえじき2」だの「悪魔のえじき サードバイブレーション」だの数多くのリスペクト作が生み出されている、女の復讐モノの名作だ。それを「新トレマーズ」のスティーブン・R・モンロー監督が正式にリメイクしたのが本作だが、正直観る前は若干の不安があった。スティーブン・R・モンロー監督は怨念や恨みとは無縁のパニック映画の印象が強いし、残虐描写についても「インクレディブル」「ジュラシック・プレデター」みたいに肝心のところを写さず、ブレーキがかけられたモノが多かった。果たしてこの監督に、女の憎い悔しい許せない気持ちが爆発する作品のリメイクなんてできるのだろうか、と強い疑念を抱えていたのである。しかし実際に本作を観ると、そんな心配は瞬く間に消し飛んだ。レイプされた女が相手を1人ずつ惨殺していくプロットはそのままながら、様々な要素を元祖「発情アニマル」よりも数段パワーアップさせた、素晴らしいまでの良リメイクだった。
オリジナルと何より違う点は、レイプする側である保安官の家族の存在がクローズアップされたことだ。この保安官、救いようのないクズ野郎なのだが、家では善きパパとして妻や娘から慕われている。レイプが行われている最中に家族から電話が掛かってくると、すぐ間近でジェニファーが悲惨な有様になっているにもかかわらず、普段どおりの日常会話を始めてしまうからたまらない。レイプする側の異常性を際立たせると同時に、「こんな異常事態が実は日常のすぐ近くで起きているかもしれない」と思わせ、尋常でない恐怖感をもたらしてくれた。またそんな保安官が復讐されることで、罪のない妻と娘が路頭に迷う様が容易に想像でき、作品の後味をぐんと悪いものにしていたのも特筆に価する。
そしてもう1つ、オリジナルと大きく異なる点が、復讐の念入り具合だ。オリジナルですら相当に激しいものだった復讐シーンが、拷問要素も加味されて格段のグレードアップを遂げていた。眼球をカラスに啄ばませる。全身拘束の状態で水酸化ナトリウム風呂の上に寝かせられ、力を抜くと頭が浴槽にダイブする。ハサミでペニスを切断し、落ちたペニスを男の口にねじこむ。尻にライフル銃をねじこみ、気絶している別の男に引き金と繋がったヒモを結びつける。特にオリジナルで最も衝撃的だったペニス切断が、切断される側のリアクションはそのままに陰惨さ五割増しになっていたのは嬉しい限り。モンロー監督が日ごろブレーキをかけていた分の鬱憤を晴らしたかのような、壮絶な描写の数々に圧倒され通しだった。