私はゾンビと歩いた!(別題:ブードゥリアン) 「評価 B」
ベッツィーは看護婦の仕事を紹介され、カナダから遥々ハイチの砂糖農園へとやってきた。彼女が世話をするのは、農園主ポールの妻ジェシカ。彼女は熱病にうなされて以来、自分で何も考えることのできない生ける屍と化していた。ただ普通の植物人間状態とは違い、夜な夜な起き上がっては夢遊病者のごとく屋敷内をうろつくことがあった。ポールは妻がこんなことになったのは、自らのせいだと悔いていた。何故ならポールの弟ウェズリーもジェシカに恋心を抱いており、それを察したポールがジェシカの愛を独占するため、彼女を屋敷の尖塔に閉じ込めた。そのことによる心労からジェシカは倒れ、今のようになったというのだ。ベッツィーはそんな彼女にショック療法による治療を試みるが、一向に回復の兆しは見えなかった。落胆する彼女に、使用人が救いの手を差し伸べる。「ブードゥーの儀式に連れて行きなさい。ブードゥーならどんな病気も治すことができる」と。そこでベッツィーは藁にもすがる思いで、真夜中に農園の奥で行われているブードゥーの儀式に、ジェシカを連れて行った。ところが儀式を取り仕切っていたのは、ポールの母ランドだった。ブードゥーの巫女を自称する彼女は「ジェシカを治療する術はない」と、ベッツィーを追い返す。だが実は、彼女こそがジェシカを生ける屍に変えた張本人だった。彼女は息子たちを色香で惑わすジェシカに腹を立て、呪いをかけてゾンビにしたのである…。
「キャット・ピープル」のジャック・ターナーが1943年に発表した、ゾンビ映画の古典。本作のゾンビは後年の諸作のそれとは違い、死んだ人間が甦るのではなく、生きた人間が死んだようになるというもの。そのため脈はあるし、呼吸も止まっておらず、医者からは単なる病気の一種と見なされている。ただこれではゾンビが全く動くことができず、話の組み立てようがないので、本作ではブードゥーの儀式で作った呪いの人形が登場し、それを操ることでゾンビが動くと設定されていた。死者が甦るゾンビに溢れかえった現代の感覚で見ると、物凄く新鮮に感じられた。
また本作、「キャット・ピープル」の監督だけあって少々メロドラマ色が強いものの、ブードゥー教のおどろおどろしさは存分に出ているし(特に全く目を閉じないで佇むブードゥー信徒・カラフォーの恐怖感は抜群!)、ドロドロの人間関係が歪みを見せて、後味の悪いラストへ転がり落ちていく展開も良い。怪奇映画としても十分見応えがある作品だ。
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