帰って来たE.T.          「評価 D」
アメリカの田舎町に出現したUFOは、町外れの砂地に2つのカプセルを落とし、姿を消した。第一発見者のオヤジがカプセルに触ってみたところ、カプセルの表面には高圧電流が流れていたために大ヤケドを負う。通報を受けた警察が現場に駆けつけると、既にカプセルの1つが開かれており、空の中身を晒していた。何かがカプセルの中から出てきたのか。警官たちが警戒して辺りを調べてみると、森の中に怪しい人影を発見する。銃を突きつけると、人影は手からレーザーを放ち、パトカーを一瞬で消し去ってしまった。この恐るべき力を目の当たりにした警官たちは、そそくさとその場を退散したのである。一方、盲目の小学校教師ジェニーは、通常の人間に聴こえないものが聴こえるという特異な能力により、誰かが砂地で助けを求めていることに気がついた。そこで親友のエブリン、恩人のハワード神父と共に、砂地へ行ってみると、そこには宇宙服を着た子供サイズのエイリアンが。彼が危険な存在ではないことを感じ取ったジェニーは、ひとまず彼をハワードの教会に匿うことにした。エイリアンは地球の珍しいものに驚きつつも、持ち前の超能力を使ってジェニーたちと心を通わせていく。だがその頃、エイリアンの能力に恐れをなした警察の要請により、軍隊がエイリアンの捜索を開始していた。彼らの手からエイリアンを守ろうと、懸命に奮闘するジェニーたち。そんな中、エイリアンの地球における活動時間には限りがあることが明らかになり…。
「メリーゴーランド」「虹をわたる風船」「食人族vs首狩族」のマリオ・ガリアッツォ監督による、小さなエイリアンと善良な人間とのファーストコンタクトを描いた「E.T.」モドキ映画。本作のエイリアンはE.T.と子泣きジジイを足して2で割ったような醜悪すぎる風貌で、一度観たら忘れられない強烈なインパクトがあった。その御尊顔がどこか「ノストラダムスの大予言」の奇形未来人を彷彿とさせるのもポイントが高い。本作はこのキモいエイリアンを初め、エイリアンを匿うのを大人にしたり、キリスト宇宙人説を扱って宗教色を取り入れたりと、「E.T.」から意図的にファミリー向け要素を排除したかのような試みがなされていた。教会には定期的に子供たちが集まるのに、エイリアンとはまるで触れ合わないのも、「E.T.」に対する明らかなアンチテーゼと受け取ることができる。ただ幾ら本家「E.T.」と差別化したところで、それが映画に対してプラスに作用するかどうかは別の問題だ。と言うのも、大人だけの世界で展開される本作において、主人公たちより遥かに小さいエイリアンはあくまで「守るべき対象」の域を出ていないのだ。そのため主人公たちとエイリアンの間で真に心を通いあわせるような描写に乏しく、マリオ・ガリアッツォ監督の持ち味と言えるシビアなラストも活きていなかった。キリスト宇宙人説を取り上げているのも無駄に敷居を高くしているようにしか思えないし、差別化自体がナンセンスに感じられた作品だった。
TOP PAGE