世界終末の序曲           「評価 D」
イリノイ州の小さな田舎町、ラドロウ。或る晩、この町が突如として崩壊し、住民全員が消えてしまうという、不可解な事件が発生した。早速州兵たちは町の周辺を封鎖し、原因解明にあたるが、瓦礫と化した町からは何の手がかりも見つからなかった。そんな中、偶然この事件を知った新聞記者のオードリーは、ラドロウの近くにある農務省の試験場に目をつけた。ここでは放射性物質を使い、野菜や果物を巨大化させる実験を行っていたのである。しかし責任者のエドは、施設で使われている放射性物質は厳重に管理しており、外部に悪影響を及ぼすことはないと説明し、試験場と事件との関係を真っ向から否定した。これでオードリーの推理は振り出しに戻ったかに見えた。しかし彼女は、数ヶ月前に施設が管理する倉庫が何者かによって破壊され、作業員が行方不明になったという話を耳にし、エドと一緒に破壊された倉庫に行ってみることにした。するとそこには、全長8メートルはあろうかという巨大イナゴが、何百もの群れを作って棲息していたのだ。数ヶ月前、倉庫に侵入したイナゴは放射能を浴びた作物を口にした。それによりイナゴは巨大化し、施設の作業員を、ラドロウの住民たちを、次々と食い殺していたのである。すぐさま州兵が駆けつけてイナゴの掃討にあたるが、巨大イナゴは銃弾程度ではびくともしない丈夫な身体をもっており、逆に州兵たちが食われる始末。しかも攻撃がヤブヘビとなり、イナゴたちは北へ移動を開始する。イリノイ州最大の都市シカゴを蹂躙し、町を恐怖に陥れた。この惨憺たる状況下で責任を感じたエドは、打開策として、イナゴを呼び寄せる音をミシガン湖からスピーカーで流すことで、イナゴたちを湖に集めて溺死させる作戦を立案。これを実行に移すため、イナゴを呼ぶ音の解明に乗り出した…。
本物の動物を接写したものを「巨大生物だ!」と言い張る豪快なオヤジ、バート・I・ゴードンの長編二作目。デビュー作の「King Dinosaur」は「紀元前百万年」の特撮フィルムを流用して作られているので、特撮シーンの100%をバート・I・ゴードンが作った映画となると本作が初となる。人間たちのいる風景に接写したものを合成させたり、ミニチュアの中を歩かせたりして、何とか普通のイナゴを巨大に見せようとしているのだが、やはりまだ「本物の動物を巨大に見せること」に慣れていないためか、後年の「巨人獣 プルトニウム人間の逆襲」「巨大生物の島」なんかと比べると技術的な粗の目立つ作品だった。接写したものを合成しているカットでは、縁取りがしっかりできていないためにイナゴが動くと輪郭に凸凹が生じているのが物悲しい。ミニチュアの中をイナゴたちが歩くカットでは、イナゴたちは各々バラバラな動きでセットの中をウロウロするだけで、「イナゴの群れは統率のとれた動きをする」という劇中の説明と完全に矛盾している。しかもミニチュア撮影の方は余程良い映像が集まらなかったと見え、足場が崩れてイナゴが転倒するカットや、丘の向こうからイナゴの群れが出現するカットを、作中で二度使い回すという荒業まで見せていたのには参った。そしてクライマックスに出てくるのが、有名な「ビルの壁をイナゴたちがよじ登る」場面だ。これはどう見ても「ビルの写真の上をイナゴが這い回っている」ようにしか見えない代物で、片足がビルについていないイナゴが平気で登っているなど、明らかに撮影ミスと思われる箇所も平気で使用しているのだから凄まじいという他無い。ただ一方で、さすがの製作側も本作の特撮シーンには満足していなかったようで、例えば場面ごとにイナゴのサイズがコロコロ変わることについて、巨大イナゴを捕獲する場面で「こいつは小さな個体でよかった」という台詞を入れることで、「巨大イナゴには大きさの異なる様々な個体がいる」と説明するなど、作中には特撮の稚拙さをフォローするための苦心の跡も窺えたりする。その程度ではとてもカバーしきれないのが本作の特撮の恐ろしいところなのだが、このような改善の志があったからこそ、後年の「巨人獣」などは比較的マトモな特撮シーンになり、バート・I・ゴードンは長期間に亘って作品を作り続けることができたのかもしれない。
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