原爆下のアメリカ 「評価 D」
50年代のアメリカ。ニューヨークの居酒屋では、様々な階級の者たちが政府に対する不満を口にしていた。税金が高い。徴兵は嫌だ。工場で兵器を作りたくない。戦争なんてまっぴらだ。そんな彼らを見た予報士のノーマンは、「誰もが強い国家を求めているのに、何故みんな国に協力するのを嫌がるのか」と指摘し、国家の団結の必要性を説いて席を立った。その直後、テレビから緊急速報が流れた。共産圏に属する敵国の戦闘機がアラスカ上空に現れ、侵攻を開始したらしい。とうとう恐れていた戦争が始まったのだ。両軍は壮絶にぶつかり合い、互いに鎬を削った。しかし敵国が米国本土に原爆を落としたのを契機に、アメリカ側は劣勢に立たされる。大都市を空爆され、艦隊に核魚雷を撃ち込まれ、落ちる原爆の数も増えていく。そして遂に、敵国の軍はアメリカ議会をも完全に制圧してしまった…。
後に「原子怪獣現わる」や「エクストロ」シリーズの脚本を執筆する、ロバート・スミスが製作に携わった架空戦記映画。40〜50年代に数多く作られた反共プロパガンダ映画の一本であり、作品には「団結して強いアメリカを築かないと、共産主義に負けてしまうぞ」というメッセージが込められていた。しかし本作を観ると、当時この作品を観て実際に感化された人間がどれほどいたのかと疑問を抱いてしまう。と言うのも本作、52年の映画ということを差し引いても、あまりにもチープでお粗末な出来だったのだ。まずアメリカと敵国の交戦シーンは、当然殆どが既存のフィルムの使い回し。しかも編集の仕方が粗雑で、戦闘機の映像数本を適当に繋ぎ合わせて空中戦を表現しているものだから、「カットごとに何が起きているのかは分かるけれど、全体として何がどうなっているのか把握できない」という困った事態が発生しており、迫力も何もあったものではなかった。また「敵国の兵士はアメリカ軍の制服を着ている」という無茶苦茶な設定を盛り込むことで、「アメリカ軍の落下傘部隊が降下する映像」を強引に「敵国の落下傘部隊が奇襲をかける映像」にするウルトラCまで出てきて、観ていて頭が痛くなってくる始末。既存の映像を使った場面でこれなのだから、新しく撮られた特撮カットの出来は言わずもがな。カリフォルニアの空爆シーンは俯瞰写真に小さな爆発をオーバーラップすることで表現しており、エフェクトが消えた後、爆発が起こった箇所に何の変化も生じていないのが涙を誘う。ニューヨークに原爆が落ちるシーンでは、珍しく本格的な特撮が使われており、ビルが崩れていく描写などが盛り込まれていた。しかしビルは原爆が爆発した時点では何故か倒れず、爆破後しばらくしてから炎に包まれてゆっくり崩れていく。どうも本作の製作者たちは原爆の威力を過小評価しているようで、ビルが瞬く間に吹っ飛ぶ様子を期待していた身としては大きく失望させられた(まあ、当時の核兵器対策プロパガンダ映画の内容を考えると仕方ないことのように思えるが)。このように本作は特撮に関しても、「原子怪獣現わる」の1年前、「ゴジラ」や「海底二万哩」の2年前の作品とは思えないくらいに質が低く、到底評価することはできなかった。
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