ライカン 「評価 C」
近未来のドイツ。クワンたち一家は、闇に紛れて人間を食らう悪しき人狼ライカンの一族と、人知れず闘いを繰り広げていた。ところが闘いの最中、クワンの娘クリスティーンがライカンの一匹と接触し、人狼へと変貌を遂げてしまった。それからしばらくの月日が流れ、アメリカの辺鄙な映画スタジオに、1つの木箱が送られてきた。スタジオの面々は木箱について全く心当たりが無かったので、取り敢えず倉庫の片隅に放置しておくことにした。だがその中には、人狼となったクリスティーンが入っていたのである。人間としての理性を失った彼女は父親の元から逃げ出し、遠くの地で仲間を増やそうと企んでいたのだ。木箱から抜け出したクリスティーンは、早速スタジオのオーナーの息子であるケヴィンに襲い掛かり、彼にライカンへと変貌するウイルスを植え付けた。次第に人間ではなくなっていく己の肉体に、悩み苦しむケヴィン。更にクリスティーンは、ケヴィンの人間としての未練を断ち切らせるために、映画スタジオの人間たちを虐殺しようとした。しかしそれを阻止するべく、彼女の居場所を突き止めたクワンとその家族がドイツから駆けつけてきた。舞台をアメリカの市街地に移し、人間とライカンとの死闘が再び幕を開けた…。
こいつはたまけだ。ストーリーが進むたびに作品の雰囲気がコロコロ変わり、まるで違う監督が作った何本もの映画を観たような気分にさせられる、製作者の悪ノリもここに極まれりの超弩級怪作である。例えば映画の序盤、ケヴィンがクリスティーンに襲われるところでは、ケヴィンの周りを舐めるように撮り続けるカメラワークで緊迫感を出しているのを始め、全体的にスリラー調の演出で統一されていた。ところがその翌朝の場面になると、いきなりカット割りが細かくなり、画面の構図が変則的になり、映画のノリがガラリと変わっている。その後も本作は躁病のように次々と演出が変わり、落ち着いた雰囲気になったりスタイリッシュになったりコメディ調になったりと、実にせわしない。これで演出がストーリーに添って変化するのであればいいが、本作の場合、本来ならばシリアスなムードを維持しなければならないところで不意にしょうもないギャグを織り込むこともあり、話の都合なんかお構いなしな状態だから大変だ。この傾向は特にクワンたちがスタジオにやってくる辺りから顕著になり、終盤の決戦シーンに至っては最早画面で何が起こっているのかすら理解できない、壮絶すぎる映像世界が繰り広げられていたのである。
だがこんな支離滅裂で狂気じみた内容であっても、映像面では随所随所でしっかり魅せてくれたし、インディーズ作品のような並々ならないエネルギーが感じられたのも事実だ。あとは悪ノリにどこまで付き合えるかが、本作の評価の分かれ目となるだろう。
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