ノストラダムスの大予言       「評価 B」
これは虚構の物語りである。
だがたんなる想像の世界ではない。
こうあってはならない──
それが我々の願いである。
(エンドクレジット前のテロップより)
1999年7の月、人類は空から降りてきた恐怖の大王によって滅ぼされる──。ノストラダムスの予言書を家宝に持つ科学者・西山は近年加速していく環境破壊を憂い、早く何とかしないと本当に人類が滅びてしまうと警告を続けていた。けれども彼の考えは周囲の共感を得られず、実家や彼の娘のダンス教室では、毎日のように脅迫電話がかかってくるのだった。しかしそんな中、東京に巨大ナメクジが出現したのを皮切りに、日本各地では異常な現象が続々と発生するようになったのだ。北九州では奇形児が、尼崎では骨の縮む病が、東京の地下鉄では巨大な植物が、福島の亜鉛鉱山下流の町では驚異的な身体能力や知能を持つ子供たちが登場し、絶えず世間を騒がせていた。更には開発大臣までもが突然発狂し、木に登って「ドングリコロコロ、ドングリコ…」と歌い出すに至り、政府はついに重い事態を受け止めなければならなくなったのである。ところが環境破壊による異常現象は世界規模で広がり続け、エジプトでは雪が降り、ハワイでは海面が凍り、ニューギニアでは放射能汚染によって、島の密林が奇怪な生物と狂乱した食人族の巣窟と化した。また突発的な洪水によって世界中の穀倉地帯が全滅し、世界は急激な食糧難に陥ってしまう。食料自給率の低い日本では民衆が暴動を起こし、自暴自棄になった若者たちはヨットやバイクに乗って次々と集団自殺を図るように。果たして人類は、予言の通りに滅亡を迎えるしかないのであろうか…。
フリークスにキ○ガイに食人族と、ありとあらゆるキワモノ的要素を使って、環境保全の大切さと人間賛美を訴えた衝撃の問題作。序盤では「災害を警告し続ける科学者とそれを受け容れない政治家達」というパニック映画における定番の構図が作られているのだが、その西山が「子供は産んだほうがいい」と言った直後に「環境が改善される日が来るまで子供を産むな」と言ったり、「人類を存続させるために最低限以上の産業をストップさせるべきだ」と言ったりと、とにかく暴論・極論が目立ち、また北九州の奇形児や尼崎の骨が縮む病はレントゲン写真による説明だけで済まされており、それほど楽しむことはできなかった。
やはりこの映画が面白くなるのは、消息を絶った国連調査団を探しに、西山たちがニューギニアへ向かう辺りからである。肉食植物や巨大化したコウモリにヒルの襲撃、そして体の至る所にケロイドのできた原住民との対決と、まんま秘境探検映画のノリで進んでいくのが秘境探検好きには堪らない。しかもここでは原住民が人肉を咥えているのが大写しになったり、廃人と化した調査団員の肩を掴むと肉が削げ落ちたりといった、当時の日本映画界では考えられないようなグロテスクな描写がされていて作品を盛り上げていたのである。
そして西山たちが日本に帰ってからは、多種多様な災害災禍のオンパレード。オゾン層が破壊されて人々の皮膚が爛れ、家は燃え、北極の氷が溶けて洪水を引き起こす。首都圏上空を覆うスモッグは太陽光線の反射によって地上の風景を逆さまに写す。人々は地方に逃れようとして高速道路は渋滞し、多重衝突事故が発生する。そんな地獄絵図にとどめを刺すのが国会で西山が語る「最悪の未来像」で、核戦争によって世界各地の都市は消滅し、人類は滅亡。荒野と化した東京で、頭が異様に膨らんだガリガリの新人類(造形が殊更にリアルなのがおぞましい)が蛇を貪る姿が画面に映し出されたときては、もう感動のあまり言葉すらも出なかった。
できるだけ多くの見所を盛り込もうとしたためか、巨大コウモリの造形が稚拙だったり、外国の災害の場面は記録映像の流用で済まされていたり、核爆弾による都市壊滅シーンが「世界大戦争」に比べると雑な印象だったりと、一部の出来が少し足りないように感じられたのは残念だった。しかし本作は多岐に渡る終末的風景をこれでもかと示しており、そのカオスな雰囲気だけで十分にお腹いっぱいにさせてくれるのだ。パニック好きも狂人好きもフリークス好きも秘境探検好きも等しく贅沢な気分に浸らせてくれる、何とも素晴らしい怪作だった。
食人族映画一覧へ
TOP PAGE