D.D.T. 「評価 B」
ヴァージニア州の農務省研究所。ここに勤めているピーター博士は遺伝子操作に興味を抱き、殺虫剤の効かない新種のイナゴの開発を極秘裏に行っていた。だがある時、この研究が農務省次官のマディに知られてしまう。無許可で研究を行っていたピーターは即刻研究所から追放され、イナゴたちも一斉に焼却処分された。かくして研究は闇に葬られたかに思われたが、イナゴを処分した際、その内の何匹かを勝手に外に持ち出した男がいた。彼のせいで新種のイナゴは野に放たれ、繁殖力の強いイナゴは何ヶ月としないうちに、大空を覆い尽くす大群を形成するまでに増大してしまったのである。全米各地でイナゴに襲われる人間が続出し、また穀物畑や果樹園が瞬く間に食い散らかされ、アメリカはおろか全世界が深刻な食糧難になるのも時間の問題に。そこでマディはFBIに捕らえられていたピーターと協力して、事態の収束に努めようとするが…。
現実に即した災害であるにもかかわらず、イナゴの大量発生を扱ったパニック映画は意外にも少ない。イナゴの大群が人間を襲う映画としてすぐに思いつくのは、「エクソシスト2」のクライマックス部分や、バート・I・ゴードンのチープ特撮が光る「Beginning of the End」くらいのもので、大抵の大量発生型昆虫パニック映画では蜂や蟻やゴキブリなんかが使われているのである。蜂は単体でも殺傷能力を秘めているので恐怖感を演出しやすいこと、蟻は群れれば何でも食べるというイメージが「黒い絨毯」から脈々と受け継がれてきたこと、そしてゴキブリは都会の住民にとって不気味なイメージが定着していることが、頻繁に使われる理由だろうか。
そんな中で本作は非常に珍しいイナゴ大発生映画であり、実際に農作物が食い荒らされる被害が多発しているためか、イナゴに襲われる人々の姿よりも、畑や果樹園が蒙る被害の描写に重点が置かれている。パニック映画としては、この点が斬新に感じられた。昆虫モノに限らず、地震、津波、竜巻など、多くのパニック映画では死傷者の姿ばかりが強調されており、農作物や家畜といった人間以外の被害についてはおざなりにされがちだ。それに対して本作は、農作物の被害の方を強く印象付け、逆に人間が受ける被害をこれでもかと言う位に軽く扱っており、他のパニック映画とはまるで異なった雰囲気を味わわせてくれるのである。
しかしこの映画、短い尺に色々と詰め込みすぎたせいか、話の展開がやたらと猛スピードだったのは気になった。災害シーンをじっくり拝む暇も無く次から次へとストーリーが進行していくために、折角の逆転の構図があまり生かされていなかったのだ。またクライマックスでは緊張感のない演出が足を引っ張り、「何百万という数のイナゴの大量死」という壮大な場面がまるで迫力のないものになっていたのも難点。パニック映画の常識を打ち破る作品に成り得る可能性だって十分にあっただけに、こういった映画の骨格とも言うべき部分での不出来が殊更に惜しまれてならなかった。
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