世紀末猟奇地帯               「評価 C」
荒涼としたサハラ砂漠に、逃げる鹿を執拗に追い回す一台のジープがいた。乗っているのはパオロ率いるドキュメンタリー映画の撮影隊。衝撃的な映像を撮るためならば、何を犠牲にしても構わないという危険な連中だ。彼らは鹿を心臓破裂まで追い込もうとしたが、同行していた女性に止められて敢え無く失敗。鹿には逃げられてしまったが、転んでもただでは起きないのが彼ら撮影隊だ。ジープのガソリンが切れたと嘘をついて同行者たちに砂漠を一晩歩かせ、その衰弱しきった様子をフィルムに収めたのである。エジプトでの撮影を終えた彼らは次なるロケ地として東南アジアを選び、エジプトで知り合った白人女性バーバラをレポーターとして迎えて新たな撮影を開始した。シンガポールではアヘン中毒の老人を棍棒で打ち据える治療法を、マレーシアとタイの国境付近では生きた蝶を食べる霊媒師を、ベトナムでは軍によるベトコンの公開処刑を、次々とフィルムに収めていく一行。撮影の際にはヤラセを数多く行ってきたものの、それでこそ映像が面白くなると信じきっている彼らはこれっぽっちも気にしちゃいなかった。だが爆破予告がされたバーを撮影する時に、撮影体の身におもわぬトラブルが襲い掛かる…。
「世界残酷物語」で有名なヤコペッティの撮影に協力したことのあるパオロ・カヴァラが、1967年に発表した問題作。60年代に隆盛を極めたインチキ記録映画(通称「モンド映画」)の舞台裏を暴露した内容で、衝撃的な映像を追い求めることに命をかけた者の姿が赤裸々に綴られている。「真実は退屈なものだ。虚構こそが面白い」「人間は物質さ」といった劇中のパオロの台詞からはモンド映画製作者たちの倫理観が窺えるし、ベトコンに袋叩きにされたパオロが「殴られていたのを撮影したか」と仲間に問いかける姿からは、彼らの映像に対する哀れなまでの情熱を垣間見ることができる。一本の劇映画としては本作、時折突飛過ぎる場面転換が起こってテンポを乱している他、クライマックスの場面も淡々としすぎていて緊迫感に欠けるなど、構成・演出面における未熟さが目立つ。ある意味「モンド映画の撮影に携わった人間がモンド系製作者の実態を抉り出す」というコンセプトが全てとも言えるが、だからこそ本作、より製作者たちの姿を生々しく感じ取ることができるため、モンド映画に慣れ親しんだ人間なら興味深く観れること請け合いなのである。

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