キング・イズ・アライヴ 「評価 A」
砂漠の真ん中を一台のバスが走っていた。バスの中には数名の乗客が乗っており、夜明けにはバスは街に着くはずであった。ところが、バスのコンパスが故障してしいたため、バスは道を間違えて砂漠の民が一人暮らす小さな村へと辿り着いてしまったのだ。しかも運の悪いことに、バスのガソリンも空になってしまったので、乗客の一人は助けを呼ぶため村を離れていった。そして残りの乗客とバスの運転手は、その廃墟同然の村で残されていた僅かな缶詰と夜露でサバイバル生活をすることになってしまった。始めは元気だった乗客達も日が経ち、村を去った者の生存が絶望視されると共に本性を剥きだしにするようになり、その様子はまるで乗客達の手に渡された「リア王」の台本そのものであった…。
「ドグマ95」という、一部の映画監督達が定めたある種の映画の規則のようなものがある。そのルールの詳細をTEARが以前日記帳に書いたものから引用すると、こんなものだ。
(1)撮影はロケのみで、小道具やセットは持ち込んではならない。
(2)映像とは別なところで音楽を作り出してはならない。
(3)カメラは手持ちでなければならない。
(4)フィルムはカラーで、人為的な照明は認めない。
(5)オプティカル処理やフィルター使用は認めない。
(6)故意的なアクションシーンを取り入れてはならない。
(7)時間的、地理的な乖離は認めない。
(8)ジャンル映画(アクション、SFなど)は認めない。
(9)フィルムのフォーマットはアカデミー35ミリ(スタンダード)に限る。
(10)監督の名前をクレジットにのせてはならない。
さて、その「ドグマ95」に則って作られた本作。これだけの規定をして(特に、照明を使ったり作った音楽を流さないという点)、自主映画のような安っぽいものになってしまわないのか…と思っていたが、見事に映画となっているから凄い。音楽が無いとはいえ、炎が燃え上がる音やバスがエンジンをふかす音、そして人間の呼吸音が立派に曲の代わりとなっており、その「静けさの中の音」が砂漠の孤独感や絶望感を明確に表現している。現実世界にはバックに流れる音楽なんていうものは無いんだから、それだけこの映画の静けさには妙な生々しさが感じられるのだ。これこそ「規定の中で新しいものを創造する」ということなのであろう。
また、本作では絶望的状況下に置かれた乗客達がシェークスピアの「リア王」の台詞をしばしば口ずさんでいるが、本作に登場する乗客達は砂漠の中という状況にいるうちに、いつの間にか「リア王」の登場人物と心理を同一化させてしまっているのだ。こういった点が他のサバイバル映画の「狂って野生本能剥きだしにした人間が他の人間を殺しまくる」というような単調なものとは一線を画した心理展開を見せてくれおり、プロデューサーのアイデア勝ちである。
冒頭が説明不足で乗客全員の人間関係が完全に把握しきれないうちに本編に突入してしまったのが残念だったが、それを差し引いても本作はかなりの出来だ。いわゆるサバイバル映画とは雰囲気が多少違うのだが、その手の映画が好きな人は観て損の無い映画である。
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