宇宙大怪獣ドゴラ 「評価 C」
1964年。東京オリンピックが開催されたこの年は、まさに日本の復興を象徴したものであった。十数年前焼け野原だった場所にはビルが立ち並び、新幹線も走るようになった。そしてこの年は、東宝の怪獣映画が全盛期を迎えていた年でもあるのだ。何といったって、「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」と、東宝の歴史に名を残す二作が作られたのがこの年である(「怪獣王ゴジラ」が凱旋上映された1955年を除けば、ゴジラ映画が一年に二本も公開されたのはこの年だけ)。ところがそんな中、全く歴史に名を残されなかった1964年公開の東宝怪獣映画がある。本多猪四郎と円谷英二の黄金コンビが作っているにも関わらず、二大ゴジラ映画の間に挟まってひっそり公開されたのが運の尽き。ゴジラ熱に燃えていた当時の子供達の記憶に残る事もなく、あっという間に忘れ去られてしまった不遇な作品。それが本作「宇宙大怪獣ドゴラ」である。
衛星監視所で一つの大事件が起きていた。なんと日本上空を周回していた放送衛星が、宇宙空間を浮遊していた謎の巨大物質の攻撃を受けて消滅してしまったのである。その巨大物質の正体を探ろうと科学者達は調査を始めたのだが、ちょうどその頃、ダイヤが謎の生命体によって盗まれるという怪事件が日本で続発していた。その後の幾多にもわたる事件から、その生物は宇宙の巨大物質と同一と判断され、一人のダイヤ研究家によって「ドゴラ」という名前を付けられたのだ。ドゴラは炭素を取り込んで生息する宇宙細胞の塊で、炭素を取り込むために地球のダイヤやら石炭やらを片っ端から盗んでいたのである。
そんな事が発覚した一方で、今までドゴラに仕事を横取りされていたダイヤ強盗団は大規模なダイヤ強奪作戦を練っていた。それを阻止しようと刑事と保険屋の二人が動き出したが、強盗団の執拗な罠にまんまとはまってしまい、見事にダイヤは彼らの手に渡ってしまったのである。ダイヤを奪った強盗団はそのまま北九州へと向かう。だがその頃の北九州では、活動規模を地球全体にまで拡大していたドゴラが八幡製鉄所の石炭を狙って大暴れしていたのだ。そこでダイヤ研究家はドゴラ撃退作戦を考案し、実行に移そうとするのだが…。
だいたいこんな筋書の本作だが、こう書いてみれば分かるように、本作の敗因は、怪獣モノとギャング団モノを両立させようとして見事にコケてしまった点にある。せっかく半透明のクラゲをモチーフにしたと思われるドゴラは前代未聞なタイプの怪獣だし、それをセルアニメを用いながら実写に近く見せている特撮も素晴らしいのに、話の内容がこれじゃあコケるのも無理はない。怪獣のアイデアだったら東宝怪獣でトップクラスなのに、それを話にあまり生かせなかったり、同年上映されたスター怪獣の映画に押されたり…と悪条件が重なったために忘れ去られてしまったドゴラ。こいつこそまさに、「不遇の怪獣」と言えよう。
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